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西陣織物 | ||||||||||||||||||
(京都府) |
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延暦13年(794年)桓武天皇が加茂川と桂川に挟まれた地に平安京を定められて以来千余年、 京都は日本の中心地として栄え、特に350年に亘る王朝文化は、京都を織物のメッカとし、 西陣織物の歴史はそのまま日本の絹織物の歴史に通じるものとなりました。 西陣お召しはお召し縮緬の略称ですが、徳川11代将軍家斉が好んで着用し、 また将軍専用の止め柄を作ってお召し料としたことから出た名称といわれています。 先染絹織物として最高級品であり、昔から愛好されるのは、布地が縮緬地になって美しく高貴なためです。 糸の状態のとき精練し、染色をするので、絹のもつセリシンという膠質がなくなり、 織り上がった地風は普通の縮緬よりやや硬くなります。 緯糸に強い撚りをかけて織り、織り上がってから温湯につけると撚りが戻って幅が狭く縮み、 布地にいわゆる縮緬シボと称するデコボコができ、これを幅出し機にかけて着物地の幅に整理して仕上げます。 原料の糸も上等のものが使用され、また出来上がった布地のシボに光線があたると深みのある美しさが表れます。 なお 「西陣」 の名は今から約500年ほど前、応仁の乱のとき細川勢の新町あたりの東陣に対し、 山名勢は大宮あたりに西の陣をはったところから西陣の名が起こったといわれています。 一方、昔から西陣お召しとしてその名前を東西に知られている西陣の着尺は、 全国に数ある着尺生産地の中にあって、生産数量において約35%と、 全国のトップの座を占め続けたと同時に、正絹お召しについては、やはりその深い味わいにおいて、 断然、他生産地の追随を許さず、 また、全国に先駆けて、いち早くウール着尺を手がけた西陣は、 その伝統の技術を生かして西陣ウールの名を高めました。 西陣着尺の種類を見ると、 正絹の紋お召し・絣・縞・無地のお召し・盛夏用お召し・コート地・羽織・白生地・ウール着尺やシルクウールの着尺など 西陣お召し独特の味わいを持つ製品が生産されました。 次に、西陣織の伝統をその製品のすみずみまで表現している金襴は、本金使用、 手織の宗教用金襴(打敷・紋白・法衣)を筆頭に、古来、 日本文化の重要な裏方として欠かす事の出来い役割を果たしてきた掛け軸の表装用金襴、 人形の衣裳に用いる金襴、能装束や打ち掛け用の金襴、 ハンドバック・草履・小物用の金襴などに至るまでが生産されています。 |
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