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越後上布重要無形文化財 〈新潟県) |
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詳細 |
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越後上布は、弥生時代から2000年の長い伝統を誇る日本最古の織物です。 新潟県魚沼を中心とした越後の山間僻地は、毎年丈あまりの雪に閉ざされる冬場の半年間、 往時他に働く術の無かった農家の婦女子にとって、麻織りは唯一のものであり、 女にとって天職としてその技量をみがき、冬場の生活を支えてきました。 しかし、雪の多いことが幸いして越後上布の雪晒しという独特の技法が生まれました。 宮古上布が太陽の光から生まれるのに対し、越後上布は雪から生まれれるといわれます。 辛苦の極地をいくこの仕事も、冬場の閉じ込められた生活により、耐え忍ぶ辛抱強さが身に付いて、 この苦労をいともせず、今も昔のままの作業を守り通しています。 魚沼の越後上布のふるさとでは、祖先が命をかけて守ってきた技,織り続けてきた上布の命を、 国の文化財としての存在もさることながら、もっと身近に祖先の血のつながりを感じ、 子孫として人間としてその誠を尽くし、次の世代に送り届けたいと願っています。 糸作りにおよそ100日、絣を作って織り上げるまでに平均80日。技術者達も高齢化し、 出来上がる製品も思うにまかせ得ないものもありますが、 先人より伝えられ教え込まれてきた仕事を精一杯努力し続けています。 「嫁にやるにはタンスに帷子」 という古いしきたりにありますように、 麻織物は通風性に優れ、肌触りの良さは、得難いものがあります。 |
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<雪晒し> |
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重要無形文化財としての越後上布は、 「苧麻である事」 「手紡ぎである事」 「絣は手括りによる事」 「いざり機である事」 「湯もみをする事」 「地白のものを雪晒しする事」 などいくつかの指定条項を定めています。 なかでも越後上布の製法として特色のあるのが、雪晒しです。 「雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に濯ぎ、雪上に晒す。雪ありて縮あり、雪こそ縮の親と言うべし。」 と鈴木牧之の名著 「北越雪譜」 の一節にあります。始められたのは、およそ800年ほど前と推定されます。 布晒しは奈良が発祥の地で、その頃の布晒しは水中に浸しては引き上げ、天日に晒すか、天日に広げ、 間断なく水を散布しながら晒していました。 雪のない地方の空気は、土ほこりや汚れが多く、晒しの日時に手間取り、純白の布を求めるのは至難でしたが、 越後では雪の利用に気付き、空気の清浄さと相まって高度な技法として定着しました。 また、いったん商品として送り出された越後上布の着物も、汗や汚れを落とす為に雪の中に里帰りをして、 織り上がりの布に混じって雪晒しされます。 今では2月から4月上旬まで、この雪晒しは越後の風物詩となっています。 |
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<歴史> |
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越後上布の原料になる苧麻はイラクサ科の多年草で全国いたるところに群生し、 昔から衣料の原料として各地で使われてきました。 平安時代の延喜式の記録によると、全国26ヶ国の主要生産品として麻布が記録されており、 その生産量も越後の数十倍を誇る国もありました。 しかし、越後の気候風土は麻織物を作るのに非常に適していた事と、 越後人特有の粘り強さと仕事の丁寧さでより優れた織物に育ってきました。 その後、上杉家が領する頃には、原料になる苧麻も大半が野生から畑に管理されるようになり、 その苧麻の交易は上杉家の財源として大きな位置を占めていました。 上杉家は、苧麻の栽培や上布の生産を奨励し、産業として育ててきました。 昭和30年には国の重要無形文化財として技術指定を受け、長い歴史を経てきた越後上布は、 その技法を絶やすことなく受け継いでいく事になりました。 鈴木苧紡庵氏は、その技術指定者として、越後上布を作る第一人者として伝統を守っています。 |
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越後上布産地見学
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夏場に越後上布の産地である新潟県の塩沢地方へ見学に行ってきました。 塩沢では塩沢紬・塩沢お召し・夏塩沢と越後上布を生産しております。 上の風景は、越後上布の糸を紡いでいるおばぁちゃんの自宅周りの風景です。 山のふもとの塩沢の町から急こう配の坂道を20〜30分程上った山の村落です。 途中でスキー場を通り越しましたので、本当の山中です。 夏の真っただ中に伺いましたが、ふもとは暑いのですが村落は少し肌寒い位の気候でした。 |
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苧麻の原料で福島県の昭和村から取り寄せています。 写真のひと束でおよそ400g 反物には糸で500g必要となります。 この乾燥した草の束を爪で裂いて繋いだものが越後上布の原糸になります。 |
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草の束を小分けにして水に浸しておきます。 |
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それを手の爪で限りなく細く裂いていき、長く紡ぎます。 |
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使わなくなった炊飯器のお釜(笑)にたくさんの苧麻糸が出来上がっています。 苧麻は乾燥していれば長持ちし、濡れれば強くなるそうです。 織上がりの越後上布の完成度はこの糸紡ぎで半分は決まると仰っていました。 ですが手作業ですので細さに若干のムラが出来るのですが、 それが織上がりの時に、反物の表情となるそうです。 工業製品のラミーは均一で、織上がりも平面になると伺いました。 このおばぁちゃんは私共とお話をしながらどんどん紡いでいきます。 「 糸とか布がすきなんだよね〜 」 「 若い頃は機織りもしてたんだよー 」 などと仰りながら手は休みません。 |
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塩沢の街中へ戻りまして、今回の見学の案内をして下さった中田織物さんへ 越後上布の糸の糊付けから機織りまではこちらで行われております。 写真中央は糸を糊付けするふのり 写真右は糊付けする前の苧麻糸 |
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ふのりをコンロで煮立ててそこへ苧麻糸をくぐらせます。 写真右は糊付けし終わった苧麻糸です。 |
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こちらは越後上布の機織りです。 糸の糊付けと機織りは中田織物さんのお嬢さん姉妹でやられております。 乾燥すると苧麻糸が切れてしまう為、 夏は加湿器をしながらの作業となります。 実際にこの機織りの部屋は蒸し暑く、汗だくになりました。 冬場は乾燥しないように暖房類は付けないそうです。 昔でいえば、雪深い地方ですので雪の水分が作業に適していたそうです。 |
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緯糸は1分(ぶ)に10本打ち込むそうです。 反物の長さは3丈3尺以上ですので、 3丈3尺 = 33尺 = 330寸 = 3300分 3300分 × 10本 で33000回!!打ち込みが必要です。 |
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織上がった反物は、足踏みで糊を抜きます。 天井から吊り下げられた縄ぬ捕まり、うどんの様に踏んでいきます。 すると余分な染料や糊が落ち、水は色が変わります。 |
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糊抜きした反物は、最後の工程 雪晒し へと移ります。 今回は夏場でしたので、雪はなく芝晒しを見せてくれました。 昨今ではやらないそうですが、昔越後上布がたくさん売れた頃には夏場は雪晒しの代わりにしていたそうです。 市場にはたくさん出回っているように見える越後上布ですが、 ほとんどが流通在庫、古着などで新物は極少数と思われます。 ですがこの技術や伝統を守る為には、最低限の仕事量が必要で現在はギリギリの数量・・・ と言っても過言ではないと思います。 私が10年、20年後にも越後上布を販売できるには産地の方達のこの現場が必要です。 |
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