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山辺里平さべりひら( 新潟県 ) |
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山辺里平は、寛政の末期に藩主内藤候が、 微禄家臣の家計内助の策として、機織の道に明るかった里正、 小田伝右衛門光貞に織り方伝授係を命じ手織機を家臣の婦女子に貸し付け、 経緯糸で竜紋、紬織及び七子 (斜子・魚子・並子)ともいいます。 魚子は布面が魚卵に似ているため、また糸を「ひとこ」といい二本並ぶので並子とも呼んだ。) などの白生地を織らせたことに始まっています。 文化13年には京都西陣から織師を招いて織物の伝習を受け、袴地を織り出して江戸に出しました。 山辺里平は当時の山辺里村が村上町に近接していたので、村上平とも言いました。 男子用袴地の一種で、経・緯糸とも座繰り糸を使用し、 生糸のまま正藍染にして織り上げられたものです。 風合、着用の柔軟性ともに優れており、 新潟県村上市が産地ですが、現在は五泉平と同様、生産は少なく限られています。 古くは綾平・絽織などもかなり作られていました。 |
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